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桜桃忌〜太宰治とその女性たち〜

桜桃忌(おうとうき)とは

みなさんは桜桃忌という言葉をご存知ですか?「忌」という字が入っていることで誰かの死に関する言葉だと連想できると思いますが、この日は1900年代前半に活躍した太宰治の忌日のことを指します。

1948年6月13日、太宰は愛人の山崎富江と玉川上水に入水自殺し亡くなりました。しかし、遺体が引き上げられたのは6月19日、偶然にもその日は太宰の誕生日であったことから「桜桃忌」と名付けられました。38歳という若さで亡くなった彼の死はファンだけでなく世間にも衝撃を与え、「桜桃忌」という言葉はのちに俳句の夏の季語にもなりました。

「桜桃忌」の名前の由来

「桜桃忌」という言葉は、太宰と同郷で太宰と親交の深かった直木賞作家・今官一が、太宰晩年の小説『桜桃』から名付けました。

亡くなった当時は、太宰治を偲び、太宰と親交のあった人たちと遺族が集まり桜桃という名前の通りさくらんぼを食べたり、お酒を飲み交わす日だったとか。現代では太宰のお墓がある禅林寺へファンが参拝に訪れているようです。

太宰治ってどんな人?

そもそも太宰治という人はどのような人物だったのでしょう。太宰治とは『人間失格』や『斜陽』、『桜桃』『走れメロス』といった作品で知られる、昭和時代に活躍した日本の文学作家です。

彼は青森県の津島家という名家に生まれ、本名を津島修治(つしましゅうじ)と言います。太宰治は内縁の妻を含め生前結婚を2回経験し、恋多き人生だったと言われています。また、度重なる不倫や薬物依存、また4回の自殺未遂といった波瀾万丈な人生を送っていました。

また、芥川龍之介の熱狂的なファンで名前をノートに何度も書いたり、中学生時代、小説家である井伏鱒二(いぶせますじ)の『幽閉』を読み感銘を受けた太宰は、高校時代に同人誌『細胞文芸』で井伏鱒二に原稿を依頼していたりといったエピソードも知られています。

太宰治と彼を取り巻いた女性たち

上述した通り彼には二人の妻と数人の愛人がいました。学生時代に知り合った一人目の妻である小山初代と恋に落ちた際、初代と一緒になるために実家を落籍してまで内縁を結びます。しかし、初代が太宰義弟と姦通を犯してしまったり、太宰と初代で薬物自殺未遂を図ったりするなど、二人の関係は次第に悪化しやがて離縁します。

この初代と太宰が内縁関係にあり、初代が青森へ帰省しているあいだに、一緒に入水自殺を図った愛人がカフェで出会った田部シメ子です。彼女はまだ3回しか出会っていない太宰と一緒に心中を図り、結果太宰だけが生き残りシメ子は亡くなってしまいます。死の間際、シメ子が最後に叫んだ名は太宰の名ではなく他の男の名前であったとの逸話が残っています。

生き残った太宰は井伏鱒二に紹介された津島美知子と結婚(入籍)します。この美知子は太宰が生涯で唯一籍を入れた女性で、情緒不安定であった太宰と離婚をせず一生を添い遂げます。また、美知子との結婚時期には『走れメロス』『女生徒』などといった名作を完成させており、太宰にとって美知子は精神的な支えでした。

しかしこの美知子との結婚関係の最中に太宰にファンレターを送りつけ恋仲になり、子供までもうけたのが作家・太田静子です。彼女は最終的に太宰に捨てられてしまいましたが、彼女の日記は『斜陽』のモデルになっています。

そして最後の愛人山﨑富栄とは戦後の1947年に飲み屋で出会い「死ぬ気で恋愛してみないか」と口説かれ愛人関係になります。晩年体調を崩していた太宰の身の回りの世話や執筆の手伝いをしていたのも富栄でした。

そして二人は1948年6月13日、玉川上水へ入水自殺をします。しかし6日後の19日に遺体として引き上げられた太宰の遺書には「美知様 誰よりもお前を愛していました」と正妻・美知子への愛が綴られていました。

現在にも続く桜桃忌

桜桃忌に行われるイベントとしては、禅林寺で行われる法要がいちばん有名です。亡くなった当時は、太宰を偲んだ親交の深い人たちと遺族が集まり酒を飲み交わしていましたが、現代では太宰のお墓がある禅林寺へファンが参拝に訪れているようです。

しかし太宰治のファンにとって特別な日であり多くのファンが集まるため、禅林寺に限らずさまざまな場所でイベントが開催されます。みたか観光ガイド協会による桜桃忌ガイドでは、禅林寺から三鷹駅南口までの道のりのガイドが楽しめ、太宰ゆかりの地を堪能しながら散策を楽しむことができます。また、他にもさまざまな場所で、太宰治のイベントが開催されます。

太宰晩年の地、三鷹

太宰ゆかりの地で晩年を過ごした場所でもある三鷹。現在では「太宰治文学サロン」で太宰についての貴重な資料が展示されています。太宰治文学サロンは、平成20年3月、太宰治が通っていたとされ「十二月八日」にも登場する伊勢元酒店の跡地に作られました。

館内では太宰治の直筆原稿や初版本、初出雑誌などが展示公開されています。定期的に企画展示もされているので、何度行っても楽しむことができ、またガイドボランティアによるガイドがあるのも魅力です。また、三鷹には太宰の旧居があった「平和通り」もあります。現在では旧居はなく、路地のみが残っています。路地の右側にある庭園は「みたか井心亭」で、ここに太宰邸の百日紅が移植されています。

みたか井心亭は木造のレトロな一軒家で、現在では筑摩書房の新人賞である「太宰治賞」の授与式も行われています。また、桜桃忌の行事が行われる禅林寺も、三鷹駅南口から徒歩で約13分ほどで着くなど、三鷹は太宰ゆかりの場所で溢れています。彼の生涯に耳を傾けながら作品の世界に没頭するのもいいかもしれません。